松本の空が泣いた日。
2011年8月4日。
松本山雅FCに所属するDF松田直樹選手が急性心筋梗塞によりお亡くなりになりました。
松田選手に関しましては、私よりもずっと思い入れのあるマリノス、山雅サポーターが数多くいらっしゃると思いますので、この場で私的な感情を書かせていただくことをお許しください。
私にとって松田選手は高校時代からあこがれの存在でした。
「前橋育英の松田」と言えば、あの黄色と黒の縦ボーダーのユニフォームが良く似合い、
いまよりもずっと荒削りなプレーで豪快そのものでした。
プロの入ってからもビックマウスと、背中でプレーする姿に何度も勇気をもらいました。
日韓W杯では初戦のベルギー戦でドローに終わり、DF陣のミーティングで
「要は抜かれなけりゃいいんでしょ!」と
トルシエ監督に突っ張る姿が印象的でした。
そんな松田選手の一報を聞き、私たちには何ができるわけでもありませんでしたが、
6日にホーム「アルウィン」で行われる試合に花を手向けよう。
と決めるまで、時間はかかりませんでした。
アルウィンへ向かうと、そこには不思議な光景が広がっていました。
私は幼い頃からサッカーが大好きで、Jリーグ、日本代表戦、W杯、欧州サッカーなど、
数多くのスタジアムに足を運んできましたが、大勢のサポーターが手に花束を持ち、
入場を待っている姿に、これまでにはない違和感を感じるとともに、
今日の試合は普通の試合ではないという覚悟を、改めて心に刻みました。
場内には献花台が用意され、
サポーターが松田選手に別れを告げる姿はとても受け入れがたく、
この時でもなお、松田選手が元気良くピッチに現れるのではないかと
心の片隅で彼の存在を消せない自分がいました。
結局、彼が現れることなく、いつもの様にウォーミングアップが行われ、
その間、スタンドは土砂降りの雨に叩き付けられ、動く気力さえ失われて時間だけが経ちました。
キックオフが近づくにつれ、雨脚はさらに強くなり、雷鳴を轟かせながら
スタジアムに襲いかかりました。これにより、試合開始時間は10分遅れ、
さらにまた20分遅れ、また30分遅れて…、キックオフは1時間遅れ。
しかし、実はこの間の出来事こそが、私のサッカー観戦人生の中でも、
おそらく一生忘れる事のできない瞬間となったです。
サッカーはどれだけ雨が降ろうと、雪が降ろうと、風が強うかろうと、基本的には中止になりません。
ただし、雷の場合には中止にせざるを得ないというルールがあります。
事実、私も実際に英国で両チームがアップを済ませて、これからキップフという時に
雷が鳴って試合が中止となったこともありました。
この日は松本上空の異常なまでの雷雲の発達により、
通常であれば中止の試合が、10分単位で遅延となり、
その間サポーターはずっと豪雨にさらされながらも、
誰一人と文句を言わず、選手の応援歌を繰り返し歌い続け、
どれだけ待っても試合をやるんだ!という気持ちで
待ち続けました。それが、信じられないほど心地よい時間でした。
おそらく選手だけでなく、関係者、サポーター…
ここ数日間で大きな悲しみを抱えた全ての人々が
この試合をひとつの区切りにしたいという思いで待ち望んだのでしょう。
結局、1時間遅れで始まったこの試合は、なんとも言葉にはできない、
いままでもこれまでも感じることのないだろう、深く悲しい試合でした。
試合は山雅が2人の退場者を出し、敗れてしまいましたが、
選手達はこの精神状態の中で一生懸命戦ってくれたと思います。
天国の松田選手も一緒に戦ってくれたと思います。
最後になりますが、
今回の松田選手の死去にともない、
死にまつわる言葉の美しさに気がつきました。
故人に感謝し、哀悼の意を称して花を手向けることを献花と言い、
最後まで愛情を注いで別れを悼み、黙祷を捧げて追悼する。
「松田直樹選手、たくさんの夢をありがとう。またサッカーしようゼ!」