2008年10月1日。
清原和博がユニフォームを脱いだ。
私にとって清原選手はアイドルそのものだった。私は野球好きの家族で育ち、住んでいたのも埼玉だったことから当時黄金時代を築いていた西武ライオンズのファンクラブ会員となった。小学生の頃は会員だけに贈られてくるリュックサックやウェストポーチを身に付けて学校に通うのがステータスだった。
もちろん、球場にもよく足を運んだ。小学生以下は外野自由席入場無料という会員特権を利用し、芝生の外野席に両親と通い、時には同級生と実家から所沢まで片道40kmくらいを自転車で激走したこともあった。
1番・石毛
2番・平野
3番・秋山
4番・清原
5番・デストラーデ
6番・安部
7番・伊東
8番・辻
9番・田辺
って感じのスタメンで、投手陣には工藤、渡辺、郭、松沼兄、東尾などが控えていた。
引退試合ではソフトバンク杉内投手が清原に対して全18球を直球で挑んだ。観ていて鳥肌が立った。
男と男の真剣勝負、杉内投手は球界を引っ張ってきた大先輩に対して全く気落ちせず左腕を振り、清原のバットは何度も空を切った。
3打席目に清原らしい右中間適時二塁打を放ったが、結局はストレートに完全に振り遅れて3三振。第4打席の最後の一振りが空を切った後には、真っ向勝負を挑んでくれた杉内投手に向かって帽子を取り、頭を下げた。
試合後、清原は杉内への感謝の言葉を何度も口にした。
「全球ストレートで勝負してくれた杉内投手に感謝しています。最後、あのストレートに空振りして、『あ、終わった』と自分自身で納得しました。本当に気持ちのいい最後の打席を迎えることができました」
また、現役最後の一球は主審から試合後に清原の元に手渡されたが、清原はそのボールに惜しげもなく『杉内君へ 最高の球をありがとう 清原和博』とのメッセージを添えて、ソフトバンクのベンチに届けたという。
スタンドではMLBの日程を終了したばかりのイチローさん、PL学園高時代の盟友である“KKコンビ”の桑田真澄さん、女優の藤原紀香さん、格闘家の秋山成勲さんらもスタンドから清原の最後の勇姿を見守るなか、引退セレモニーがスタート、長渕剛さんが登場して「とんぼ」を熱唱した後、清原は尊敬する王監督、天国の仰木監督、支えてくれたファンに感謝の意を述べた。
日本のプロ野球界にとって大きな財産を失った日、清原選手のプロ野球生活を振り返るともに、彼と共に育った自分自信の人生も振り返り、懐かしさと切なさで自然と涙がこみ上げた。
多くの人の心を魅了した清原選手、私も早く彼のように尊敬される人間になりたいです。
まぁ、無理だろうけどね…
サヨナラ キヨハラ アリガトウ